富山の薬売り

〇〇薬品て書いいてある軽自動車を見た事があるでしょ

ひょっとしたら家に来てもらっているかもね

いろんな薬をおいて行ってくれて

使った分だけを後で支払う

そんな薬屋さん、配置薬は便利だったよね

今ならそこかしこにドラッグストアがあって

薬だけじゃなくて飲み物や食品も比較的に安価で

で買う事が出来る

この配置薬、昔は『富山の薬やさん』って親しく呼んで

いて来るのを楽しみにしていた

来てくれるのは1年に1回か2回くらいだったと思うけど

顔を忘れないうちに来てくれる

持ってきた薬で記憶に残っているのが

お相撲さんの絵が描いてある薬で腹痛の薬だったと思う

外用薬では真っ黒い軟膏で『タコの吸出し膏』

他にも色々あったと思うけど思いだせない

子ども心に薬屋さんが来るのを楽しみにしていたのには

薬以外に理由がある

背負っている大きな柳ごおりにはたくさんの

引き出しがついていて

その中にお土産が入っていたんだ

なのでそれを開けるのをワクワクしながら見ていた

四角い紙風船や他にも何か持ってきたようにおもう

紙風船は薄い紙で出来ていて

息を吹き入れてポンポンと飛ばして遊んでいた

おもちゃは他に持っていたけど

なんでかこの紙風船が待ち遠しかった

すぐに壊れてしまうんだけどね

この配置薬は凄く歴史が古いようで300年以上も前から

あったようだよ

始まりは元禄2年(1690年)冬のことで他の大名の腹痛に

富山藩2代目藩主の前田正甫公が

持っていた薬を飲ませたところたちどころに治った

それを見た各大名が自分の国でも売って欲しいと

求めたところから薬の行商が始まったそうだ

この頃は領地から勝手によそに出る事は出来なかったから

『領外勝手』というお触れを出して

全国各地に行けるようにしたんだって

この頃の北海道は蝦夷地だったから

だいぶ遅れての配置薬になっただろうね

徒歩で荷物を背負って全国を歩いていた薬屋さん

背負った荷物は2~30キロもあったって言うから驚いた

そうして信頼関係を築いたお得意さんを書いた帳面は

高額で取引されたり

子供への遺産として引き継いだりしたんだって

親子からだけじゃなくて何代も前から築いた信頼関係だもの

そのお得意様帳面は値をつけられない位の物だったんだろうね

年齢が高くなると昔の事を言い出すって言うけど

昔のことも忘れたくないから書いてみた

両親も時々昔の事を話してくれたし

仕事の関係で会ったお年寄りも昔の事を話してくれた

もっと聞いておくとよかったななんて今は思っている

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