今から34年前の1989年に起こった六四天安門事件
実際には4月15日から6月4日にかけて天安門広場で
起きたことだ
この国の民主化を望む高官の〇去を悼んで
学生や市民が天安門広場に集まった
はじめは少人数だったけど少しずつ人が増えていき
10万人を超える人達が集まった
これはソ連のゴルバチョフが始めたペレストロイカにも
端を発しているようで言論の自由と民主化への道を
求めた行動だった
この国はほぼ独裁のような形で
国民がお互いに監視をして密告するという国だ
この密告制度では一般国民や戦争で残留しなければならなかった
日本人の子供も長じてからは犠牲になっている
この広場へは町に住んでいた人だけではなくて
遥か彼方の村から自転車で来た人もいたようだ
その時の様子を残した人がいたけど
自転車に乗った青年が満面の笑みを浮かべながら
「この国を民主化するのは今でないと」と言いながら
さっそうと去っていった
そうやってみんなが集まり少しづつ多くなっていった
5月20日に政府から戒厳令が出されても人は集まり始め
6月3日になり収拾のつかなくなった政府は
彼らを排除するためにたくさんの装甲車と戦車と
重装備の軍隊を投入して銃の乱射を始めた
この時の有名な写真が『戦車の前に立ちはだかる青年』だ
この時の犠牲者は政府発表では300人と言われているが
10000人に及ぶとの説もある
アムネスティによると多くの人が〇害され国全土では
数万人が逮捕されたとの推測を出してる
この事に関しては詳細が分かっていない
政府当局が真相を解明する事を拒んでおり
この事に対して話し合いをすることも禁止しているからだ
逮捕された人は今のロシアが行っているような
悲惨な目にあっている
今でも遺族のグループが名簿を作成しようと努力をしているけど
嫌がらせや差別にあっている
この事件については国内で調べられないようにあらゆる媒体から
消されているという
この事件に関して日本の公共放送が特別番組を作っている
その番組ではこの広場での虐〇はなかったと報道されている
広場の中で何が起こっていたのかは証言する人がいない
ただ近くにあった外交官官舎に住んでいた日本人の証言がある
その人は官舎の高いところに居を構えていた
たまたま下層階に用があって外出したところ銃で乱射するような
音が聞こえ自宅に行ってみると
干してあった洗濯物に何か所もの穴が空いていたという
広場から外れたところにある建物の高層階を乱射された事に
驚きを隠せず今でもはっきりと覚えているという
この外交官官舎には米国の人もいた
その人から«前日のうちに官舎への乱射は聞いていた≫
日本人には連絡がなかったのかと言われたそうだ
香港では毎年この事件の追悼集会を行っており
事件についての『天安門事件記念館』を作っていた
香港はイギリスからC国に返還されてから民主派への
弾圧が酷く2021年に記念館は閉館に追い込まれた
その代わり現在はニューヨークに開設された
追悼集会は当局によって禁止されたけど
各自が自宅や獄中で追悼しているという
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