寝台列車に乗ったから0泊でもないんだけどね
旅行でのわたしの黒歴史。
今をさかのぼる事10年以上前の話。
のっぴきならないことで青森に行く事になった私。
近くの駅の緑の窓口で列車の時間と乗り換えの案内をして貰った。
5時半に仕事を終わらせて、急いで家に帰って来てから
これまた急いで近くの駅まで行った。
何回かの乗り換えがあるから気持ちが落ち着かない。
20分余り汽車に乗って一回目の乗り換え。
あ~そうだ、汽車って言うのは間違いじゃないよ。
電車は通っていなくて全部が気動車だから汽車だね。
それも一両だけの汽車。
札幌駅について寝台特急に乗り換えたんだけど
ここでやっちまった。
席番号を何回も確認してから修身の準備。
そこにやって来たのが駅員さんと一人の男性。
私の席はその男性のもので、私の席は一両隣だった。
枕を持って移動してくださいって言われたけど
結局そこにいても良い事になった。
あ~恥ずかしかった。
そうそう、目的地なんだけど弘前大学、多分そうだった。
青森で乗り換えようと思ったら、津軽三味線の音楽。
これには驚いたよ、いきなり聞こえてきたんだも。
じょんがら節とかって言うのは嫌いじゃなかったから
嬉しかったかな。
弘前駅前で大学近くに行くのにバス停でボーっと立っていた。
走っている車はいないし歩いている人もいない。
ここも過疎なんかな~なんて思っていた所で気づいた。
まだバスの走る時間じゃなかった。
こんなんで何とか弘前大学について
用事を済ませて自宅への帰路についたのでした。
この時に初めて通ったのが青函トンネル。
窓の外が真っ暗でいつになったら明るくなるのかって
不安でいっぱいだったよ。
長いトンネルは道内にもあるけど、こんなに長く暗闇(おおげさ)
にいるのは怖かったよ。
食事をした記憶もないし、目的地も今でははっきりと覚えていない
そんな旅だった。
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