犬がいなくなった

6月に、一緒に暮らしていたフレンチブルドッグが

亡くなった。

かれこれ60年、犬や猫や他の生き物と暮らしていたので、

文字通りの独り暮らしになった。

私は生き物が好きで、犬や猫に限らずいろいろな

生き物と暮らしてきた。

初めてペットとして犬を飼い始めたのは

小学校の低学年の時。

子犬が欲しくて欲しくて、親に無理を言って

近所で生まれた子犬を1匹ひきとってもらった。

子犬は、玄関の中に箱をおいてその中にいた。

学校から帰ってくると、子犬は喜んでキャンキャンと

吠えて、私の方に突進してきた。

子犬は好きだが、子犬が吠えるが怖くて

玄関から入られず、毎日のように立ちすくみ、

母を呼んで泣き叫んでいた記憶がある。

母が、あきれたように子犬をおさえてくれて

ようやく家に入れた。

いつから動物が怖くなくなったかは記憶にない。

今のように、ペット用品が多様にあったわけでは

なかったので、寒くなると、母が犬用にあんかを

入れてくれた。

熱いと危ないのでと、ほどほどの熱さで1日に何度か

入れ替えていた。

食べるものは、ミルクで米を柔らかく炊いた粥を

あげていた。

ほとんど母が面倒を見ていた。

その犬は、18歳で亡くなった。

当時としては長く生きた方かと思う。

母は、10年ほど前に亡くなったが、仕事をしていた

私の代わりに、良く犬猫の面倒を見てくれていた。

我が家の順位として、娘、父、母、犬、猫で、

私が最下位だった。

働いて、ご飯を買ってくるのは私なのに、

なんで最下位だったのか、今でも納得できない。

母は、亡くなるまで動物の面倒を一番見ていたが、

「犬とか猫とか、かあさん、大嫌い」というのが

口癖で、それは全くぶれなかった。

ただ、口で言うのと行動が一致していなかっただけだ。

我が家には猫が2匹同居していたことがあり、1匹は

茶トラの『銀四郎』でとっても気性が荒かった。

友人の家の飼い猫が産んだ3匹の中の1匹だった。

もう1匹は黒猫の『烏之助』で、キャンプ場の

ゴミ捨て場で、夜に見つけた。

目だけが光っていたので、始め何なのか分からなかった。

鳴き声も、猫の声ではなく、電話口できいた人からは

何かいるの?と聞かれるような、変な声だった。

いつも茶トラの後ろにいるような気の弱い猫だった。

わたしは、銀四郎に時々噛まれたりしていた。

が、母は、じゃれてくる猫を足で押しても噛まれた

事はなかった。

父はただただ、甘やかしていた。

孫が1~2歳の頃、猫に向かって「はな、チーンして」

と、しつこいくらいに鼻を拭いていたり、座布団を

かけて、「ねなさいね」と言ったりしていた。

ひどく迷惑そうな猫の顔を見て、私と娘はハラハラした

事もある。

その頃は、狂暴な銀四郎の為に、我が家には片手くらいの

人間しか入れなかった。

今、家には犬も猫もいない。

以前、まだ犬が生きていた頃に、孫が言った。

「保護犬」を引き取ってあげたら?と。

保護犬に限らず、保護猫でも引き取る条件を満たす

のは、とても難しいようだ。

今は自分の年齢を考えると、動物を責任もって

飼う事はできない。

いざ、引き取ろうとしても、独り身は引き取れない。

他にも、さまざまな条件があるようだ。

遺棄犬や猫を引き取って、里親を探して譲渡する

団体がある。

そういう団体に、なにがしかのお手伝いが

出来たらいいと思っている。

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