お墓の引っ越し?

お盆の時に、弟からお墓移転の提案があった。

我が家のお墓は、山の上の方にある。

家からは歩いていける距離。

最近、近辺の住宅地に熊が出没している事と、

駐車スペースがない事、自分たちがいなくなったら、

お墓参りに来る人が大変という事からだ。

もう少し様子を見てからでよいのではという事となった。

父が生前に、何かあったら電話するようにと、母に

メモを渡していた。

石材店の電話番号と店の名前だった。

父が亡くなり、何も手がつかなくなった母だったが、

そのことだけは覚えており、電話した。

採石場で働いていた時に知り合った墓石屋さんで、

父から頼まれていた事を教えてくれた。

海が見える、風の良く通る場所に我が家の墓が出来た。

恥ずかしい事だが、あまり手持ちがなかった私は、

墓石や諸費用をローンで支払った。

建立者の名前は、長男である弟にした。

そんな経緯があるので、簡単に移転はしかねる。

お盆に来た娘にも話したところ、私の骨を納めてから

また考えると良いんじゃないか。

墓じまいとかは、私の孫に頼むことにした。

私は「いいよ、私はスパゲッティモンスター教に改宗

するから」

娘からは、またおかしなこと言ってるとあきれられた。

そういえば、ずっと以前に、お骨はエーゲ海にまいて欲しい

と冗談で行った事がある。

娘からは、どこの海でも分からないでしょう、海は

繋がっているんだしと言われたことがある。

それからしばらくして、お骨を撒くときは、すっかり粉に

しないといけない事と、粉にするのが難しい事で

散骨は出来ないかもしれないと、娘から伝えられた。

結構、まじめに考えてくれていたのかと思った。

こういう話を言うと、『死』を軽く考えているのでは

とひんしゅくを買うかもしれないが、そうではない。

以前、『死の臨床学会』と言うのに参加したことがある。

勤め先の病院から、ターミナルケアの勉強で、

参加するように言われ出席した研修だ。

講師の一人に、大学の哲学科教授がいた。

ターミナルケアと言うのは、死の期限が決まっている人を

いつ死が訪れるか分からない者がケアする事と聞いた。

その言葉が強く心に残っている。

母とも、死んだ時の事を話していた事が多くある。

だから、決して死と言うものを軽く考えているのではない。

私は、明日できることは今日しなくてもいいと、

伸ばしてしまう事が多々ある。

やっぱり、出来ることは今日すませた方が良い。

眠るときに、布団の中でちょっとだけその日の

反省をして眠ることにしよう。

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