小樽図書館は私の遊び場

60年くらい前、小樽図書館は私の遊び場だった。

お昼寝していて、めざめの間際に思いだしたのが小樽図書館。

この前に、運河のあたりを散策していたせいで思い出したのだろう。

夢はめざめの間際に見ると言う。

長い夢でも、本当に見ている時間はほんの短い時間だという。

夢を見なかったと言う時は、忘れてしまったせいとも言われる。

目覚めの間際に見る夢は、言葉が次から次へと紡ぎだされて、小説にしたら

中編位になるかも知れない。

そんな訳で、今日も図書館の事を夢に見たのだが、起きてから気になって

調べてみたら、私が行った図書館は小樽図書館ではなく小樽図書館分室

だったと言う事が分かった。

小樽図書館は、市役所近くの高台にあり、木造2階建ての建物で、近くで

働いていた時は、朝、図書館に通う人を見ては、自分もいつかは

毎日図書館に通える人になりたいと思ったものだ。

昭和31年、運河通りの博物館の中に本来の図書館とは別に図書室が

開設され、昭和41年に『小樽図書館分室』と改称されたそうだ。

その図書館が、私の遊び場だった。

旧手宮駅の中の売店で醤油せんべいを買い、小腹を満たしてから毎日

運河通りの図書館に通った。

ちょうど、今の博物館運河館にあたる場所だったらしい。

通うと言っても、小学生の足ではかなりの道のりだったと思う。

今では、一人でそんな所に行くなど、危険と思われるだろう。

分室は、小さな図書館だったが、学校の図書室より居心地が良く、

本当に良い場所だった。

入ると、左に図書館への入り口があり、右へ行くと博物館に通じた。

冬、図書館の中はストーブが燃えて居心地の良い空間を、物理的以外にも

更ににあったかな空間に変えていた。

そこで見たい本を手にとり、閲覧机に座って一心不乱に読みふけった

記憶がある。

そこで、日本文学全集、外国文学全集、世界の神話を次々に読んだ。

まだ本と言うものが高価で、貸本屋が全盛を誇っていた時代だったので、

無料で本を読める図書館は、私にとって素晴らしい場所だった。

本に囲まれる場所、その頃は本気で図書館に就職したいと思ったものだ。

就職と言う意味も良く知らずの。

その後に『図書司書』と言う仕事を知った。

読書が好きだったのは確かだが、図書館のおかげで

立派な「活字中毒者」が出来上がったのも事実と思う。

何かを考える時、その事だけを考えるのでなくて、活字を追いかけながら

の方が、頭の中の中の考えがまとまる。

今は紙の本が少しで、ほとんどが電子書籍になったが、これはこれで便利。

読みたい本が、買いに行かなくてもすぐに読めるからだ。

それでも、いくらかの紙の本は手元にある。

本を燃やす国家は滅亡すると言われ、映画にもなっているが、実際に

そういう例も多くあるのは事実だ。

活字が生まれ、それを綴る術を生み出した自分たちの祖先に感謝!

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