東日本大震災から11年

3月11日で、東日本大震災から11年が経とうとしている。

その頃の私は、山の上の障がい者施設で働いていた。

1人では身体を洗ったり、薬を塗ったりできない入所者さんたちの

入浴のお手伝いをしてから、みんなの住む居室の居間に戻った時に

テレビがついていた。

真っ黒い水が町や住宅を飲みこみ、車を押し流してでいく様子に、ど

うしてこんな恐ろしい映画を観ているのと思ったものだ。

「かーちゃん、凄いよ!かーちゃん見て!」

そういう映画を観ると、興奮してしまいどうにもできなくなる入居

者さんがいるので、テレビのチャンネルを変えてと言ったところ、

「だって、どこも同じなんだもん」と言う返答。

恥ずかしい事に、そこで目にしている光景が現実のものだと理解した。

その映像はその日から毎日のように繰り返し流れた。

私の家でも、母が朝から晩までその映像を見て、精神に変調をきたし

てしまった。

当時、就学前の孫は、絵を描く時に真っ黒に塗っていた。

ほんの少しの判断の違いから、命に線を引かれた人達も多かったと聞く。

昨年の、震災10年を経てからは、あまり報道がなされなくなったよう

に感じる。

こういう事は風化させないように語り継いでいかなければと思う。

先日、トンガに大きな津波が発生したが、東日本大震災を経験した人達

が作っていた『津波マニュアル』で助かった人が多かったと聞く。

高台まで、人の踏み均した細い道が出来ていて、そこを通って一斉に

避難したそうだ。

今、ウクライナがロシアに侵略されて、大勢の人たちが周辺国に避難

を余儀なくされており、いつ自国に戻れるかは分からない。

世界各国に目をむけてみると、本当にたくさんの難民の方たちがいる。

他国からの侵攻だけはなく自国内からの弾圧で難民になった方たちも

多い。

暖かい部屋の中で、有り余る食料に囲まれている私が、何を出来るのか

と聞かれると何もできない。

ただ、心の中で祈る事だけだ。

少なくとも、世界にはこういう状況になっている人達がいる事を、孫

たちに理解してもらわなければと思う。

ロシアは、ウクライナの全面降伏がなければ核を使う事もいとわないと

言っており、実際に、何か所もの原発への爆撃をしている。

実際に核を使わなくても、原発への爆撃は核を使うのと同じ恐怖を与え

最悪、同じ結果を招くのではとの危惧がある。

世界で、核にさらされた国は日本だけだ。

核の恐ろしさを知っている日本が声をあげなければならない。

ロシアとベラルーシは、今、世界からの経済制裁などで孤立の道を

たどっているが、一つの懸念がある。

大国を鼠に例えるのは申し訳ないが、『窮鼠猫を噛む』のことわざが

あるように、ロシアがどんな暴挙に出るか分からないと言う点だ。

とは言っても、どうしたら良いかと言うのは私には分からないので、

無責任な発言だとは思う。

けれども、対岸の火事のような気持ちでいてはいけない。

ある人が、『戦争は年寄りが始めて若者が死ぬ』と言っている。

本当にその通りだと思う。

戦争も災害も、忘れることなく後世に伝えて行かなくてはと思う。

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