ロシアに避難した人々

ウクライナから人道回廊を使ってロシアに避難した人達がいるけど、

どうしているんだろうと思っていた。

今日、ほんの少しだけど、その人たちの様子を見ることが出来た。

17日にロシアのロストフ州で撮られたものだった。

体育館のような広い場所に、埋め尽くされたように並べられた簡易

ベッド。

いるのは女性と子供がほとんど、というか男性の姿は見えなかった。

人道回廊については、ニュースでよく報道されていたけど、ウクラ

イナ国内へ避難する道は少なく、あろうことかベラルーシとロシア

へ避難する道があって気になっていた。

避難するときも、途中でロシア兵による検問があり、身体チェック

と携帯の内容、特に市街地が攻撃されている写真などは削除された

そうだ。

携帯の通話やメールをチェックして、ロシアに好意?を持っている

人を選別しているのではとの事も伺える。

ロシアに避難していた高齢の女性は、ロシア兵から、10分だけ時

間をやる、生きていたいならロシアに…と言われたそうだ。

ウクライナ国内に居ても、電気も水も食べ物もない状態では、究極

の選択でロシアに行かざるを得なかったと思う。

また、マリウポリの市議会から、数百人の市民がロシア兵に強制連行

されたとの報道もあった。

ロシアの北のへき地へ連れていかれた人もいるそうだけど、これに関

しては話した人の映像も音声もないので、確証はない。

ロシアで反戦デモをして拘束した人たちの数はどれだけになるのか。

その人達はどこに居るんだろか。

2度とでデモをしないと言う条件で解放されたのかとも思うけど、そ

んな甘い国家じゃないとも思う。

あれだけ広い国土だから、どこかに連れていかれたら分からないよ。

今回のウクライナ侵略について、西側諸国から兵器を提供されている

のは、実践での兵器の性能実験だ、西側にとってはいい実験場だ、と

言う人がいる。

100歩譲ってそうだとしても、それで今まで持ちこたえているんだ

から良いじゃないかって思う。

ウクライナはソビエト連邦の時に、ホロコーストと並ぶジェノサイド

と言われるホロドモールでスターリンに酷い目にあわされているのだ

から。

それも、民族意識が高くウクライナを守ろうとしたためにしたことが

発端の一つだ。

ヨーロッパのパン籠とも言われた穀倉地帯の人が、飢餓状態に追い込

まれた事は、50年ほど経った1980年になって始めて世界が知っ

たことだ。

私も、ソ連の集団農場のことは学校で習ったけど、ホロドモールにつ

いては知らなかった。

ホロドモールについての詳細はいまだに良くは分からない程、ウクラ

イナの歴史を抹消されている。

歴史を綴る、教師や知識人などが粛清されているからだ。

だから、今回のロシア侵略にしても簡単には屈服は出来ないと思う。

そして、いまウクライナで戦っているロシア兵に伝えたい。

早く家族の所に帰りなさい、ロシアの国内が大変な事になっているよ。

独裁者の為に、自分の命もウクライナの人たちの命もなくすことはな

いのだから。

ウクライナに投降しなさい。

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