1993年7月12日夜

3月11日に東北を大地震が襲ってから12年が過ぎた

それよりさかのぼる事18年、1993年7月12日の夜に

北海道奥尻島を大津波が襲った

この地震では奥尻島はもちろんのこと

北海道の日本海側に大きな被害を及ぼした

奥尻島では津波に伴う火災があちこちで起きて

真っ黒な煙とその中に赤い炎がみえていた

この地震が起きた時間は夜の10時17分

私は家にいて夕食後の時間をのんびりと過ごしていた

揺れが落ち着いてから両親の家に行き

避難する事を伝えた

海岸沿いにすんでいたために、地震と言うと

津波が頭にあったからだ

母はすでに避難の用意をしていた

入浴中だった父はお風呂のお湯が波打ったと言っていた

近所の家は明かりがついていたけどどこの家も

避難の様子はなかった

夏を待ちわびた人達が海岸でキャンプをしていたようだ

警察が海岸沿いを行き来しながらキャンプ客に

避難を呼びかける声が聞こえていた

貴重品を持ちいざ出かけようしたら父がいない

父は足の関節の手術をしていて早く歩くことが出来ない

どこに行ったものかと

弟たちと母とでイライラしながら待っていたら

海の方から犬を連れて帰って来た

「(海)水引いてないから津波は大したことない」

まあのんびりとしたものだった

避難場所に決まっていた所は海岸にほぼ平行に走る

道路を行かなくてはならない

道路を横切って山側に車を走らせた

かなり山に入ってから広い農道にあった空き地に

車を停めて一息ついた

海が見える場所だったけど真っ暗で何も見えない

不謹慎なようだけど夜中のピクニック状態になった

レジャーシートを敷くと

母のリュックからはおにぎりに菓子類と

冷蔵庫にあった麦茶、他に何とポットを持ってきていた

揺れが落ち着いてすぐにおにぎりを握ったと言っていた

家に帰られない事も考えられるので、

子供たちにまずは食べものと水をと考えたそうだ

日が変わった3時過ぎには家に戻り

いつもの生活になりそれぞれ仕事に行った

避難場所は学校の校庭だったけど

キャンプの人達はそこにテントを張って

水場で歯磨きをしていたそうだ

いったん避難所に行くと勝手に家に帰る事は出来ない

山に登ったのは家族が勝手にした事だ

近所で避難したのは我が家の他にいたかどうか分からない

それからはいつも車に避難用の物資を積んでいたけど

今は車がないので

家に水と食料を備蓄している

災害はいつ起きるか分からない

取り越し苦労といわれても用意は必要だと思っている

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