母の友人と3人で、ニセコ町のひらふ亭に行った。
近くにスキー場があり、ホテルもスキー客の為のサービスが充実していた。
ばあさん2人とおばさんの目当ては温泉。
母の友人は、母にとって幼馴染で50年以上の付き合いになる。
お互いに「つぎちゃん」「やえちゃん」と呼び合っている。
私もやえちゃんと呼んでいた。
駅前の市場で、昭和30年代から鮮魚店を営んでいた人で、今は引退している。
夫になる人は、これまた私の父とは幼馴染だったが、若くして亡くなった。
要は、田舎の若い男女がグループ交際をしていたって事だろう。
やえちゃん夫婦は、駆け落ちのように田舎から出てきて、夫と2人で
1斗缶に魚を入れ、遠い飯場まで売りに行く「担ぎ屋」をしていた。
その後に市場の中に鮮魚店を構えたそうだ。
夫が亡くなった後、1人で店を切り盛りしてしていた、いわば女傑と言える。
母もやえちゃんも、身長は140センチ位で、体重は30キロ台。
後ろ姿はまるで双子のようだった。
車の後ろ座席でぺちゃくちゃ話している2人を連れ、ニセコ町にあるひらふ亭
に到着。
部屋に入るとすぐに、2人並んで温泉に入りに行った。
夕食になり食堂へ行ったが、バイキング料理が勿体ないほど、2人は食が細い。
母はお皿に刺身が少し、やえちゃんはお肉が少しだけ。
外せない物はビール。
やえちゃんは少しの食べ物とビールで生きているような人だった。
私の仕事が終わって、鮮魚店に10時くらいに行くと缶ビール片手に
ストーブの前に座っている。
鮮魚店の仕事もほぼ終わり、仕事じまいのビールだ。
わたしにも、「仕事終わったんでしょ」と、よくビールを渡してくれた。
ストーブの上には魚が程よく焼けていて、新聞紙にのせて勧めてくれる。
焼き魚とかを新聞紙にのせて食べるのって、意外と美味しく感じるものだ。
グラスのビールが、吸い込まれるようになくなるので、気持ち良いくらいだ。
食事が終わって部屋に戻るとまた温泉へ。
あんなに飲んで温泉なんて大丈夫なのかな?心配になる。
やえちゃん「大丈夫!これくらい。それに看護婦さんついているもの」
いや~、そういう事ではないと思うんだよね。
部屋に戻ったやえちゃん、ニコニコと缶ビールを抱えていて、また、
ビールを飲み始めるが、ペースは少し落ちていた。
寝る前にはまた温泉へ行き、戻ってからはようやく静かになって寝た。
寝るときのやえちゃん、静かなとこが良いって、押し入れで寝ていた。
まるで子供を2人連れているかのようだ。
朝起きるとまた温泉へ、何回入ったら気が済むのだろうか。
彼女たち曰く「だって温泉に入りに来たんだもの」
はい、ごもっともです、すみません。
朝食が済んで、私が先に部屋に戻り、帰り支度をしていると、
笑顔で2人が帰ってきた。
わが母「あのね、母さんたち、もう一泊するわ」
もう言って来たし、部屋はエレベーターのそばに変えてくれるって。
あとでに荷物も運んでくれるからって。
帰りはどうするの?ホテルの人が駅まで送ってくれるって。
この2人は本当に手回しが良いな。
そうだろうな、鮮魚店を切り回していた人と、夫が遠洋漁業で留守
の間に、家を買って引っ越ししてしまう人だものね。
引っ越しの後、家に帰ってきた父に「とうさん、良くウチ分かったね」
迎えに行くにも、いつ仕事が終わるか分からないから仕方ないんだよね。
父「ハイヤー呼んで、引っ越したみたいだから、家まで」って言ったら
連れてきてくれたって。
母も母だが、動じない父も父だと思ったものだ。
夫が遠洋漁業に行っている間、留守を守る妻はこんなものだ。
ここまで延泊の段取りが出来ているのなら大丈夫だろう。
後ろ髪が1束位ひかれる思いで2人を置いて、わたしだけ帰宅。
翌日、満足した顔で2人が帰ってきたのは言うまでもない。
やえちゃん、リュックにはしっかりと缶ビールが入っていた。
この後は、よく2人で、リュックを背負い温泉に行っていた。
予約と送迎バスの時間、乗車場所をしっかりと書いて、交番の場所
も入れた。
迷わないで、バス乗り場まで行けた?と聞くと、
迷わないように、2人で「こうやって、壁に手をついて歩いたんだよ」
と、壁に手を付けるジェスチャーを交え、得意げに言っていたのも愛嬌か。
それで迷わなかったんだから、終わり良し。
ところで、1つ気になった事があった。
札幌駅で壁に手をつけて歩いたって、どんだけ時間かかったの?
時間はいっぱいあるから大丈夫だったよ、とふたり。
ばあさん2人、壁に手をついて歩いているのを見て、
誰も気にしなかったのか?
家に戻るときも、小樽駅から歩いて、途中の作り酒屋
「田中酒造」本店で利き酒をしてきたそうだ。
戦中と戦後を生き抜いた2人は強い、敬意をはらう。
ひらふ亭さん、孫がスキーを滑りたいって言ったら、
ぜひ泊まらせて下さい。
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