小樽運河散策

先だって楽しんできた小樽運河の散策。

総合博物館で小樽鉄道の歴史をあらためて見てきた。

今は民営化でJRとなった鉄道も、以前は国鉄と呼んでいた。

博物館のある付近の、手宮公園に至る坂道の右側には、

たくさんの国有鉄道の官舎が並んでいた。

周辺の道路も様変わりしており、一目見ただけでは分からない。

小樽水族館に行く際に通る道なので、もっと広くなっても良いと

思うが、博物館に向かう三叉路のあたりで狭くなっている。

家に帰ってグーグルマップと比べても、記憶とはずれがある。

どんな店があって何という名前かも覚えているのだから、

付近が変わったのだと思う。

時間があったらゆっくりと歩いてみたい。

運河の近くで働いていたことがあるが、今の運河になる前は、

夏になると病院の中に、どぶ臭い匂いが入ってきた。

一時期、運河の再開発運動が活発になった頃があった。

中心になった人たちは、主に小樽市の外部の人たちだった。

小樽市民として、運河の再開発にはあまり積極的ではなかった。

というか、むしろ消極的反対の立場だったし、周りでは反対か

無関心が多かったように思い、会話に出る事はなかった。

運河プラザの近くに麟友朝市と言う市場があるが、子供の頃は

大人に習って、『社』(しゃ)と呼んでいた。

社の周りは今からは考えられないほどに活気があり、運河で働く

はしけ乗りの人や、魚の取引をする人達のためのたくさんの屋台が

出ていた。

朝に行ってみなければ分からないが、今はそういう必要もないの

だろうか、昼間見たとは言えすっかりとさびれていた。

埠頭がいくつかあるが、第3埠頭が一番に活気があった場所と思う。

この埠頭は、いくつかの埠頭の中でも一番先に整備されて、水深

も深く、早くから大型船が離着岸できる場所だった。

遠洋の漁船が何隻も連なって港を出てゆく際も、第3埠頭からだった。

見送りの人たちの手から船へ伸びた、何十本ものテープが風に揺れて

カーテンのようになって居たのもこの第3埠頭だった。

高らかに鳴り響く軍艦マーチに合わせて船が出港していくが、

いつの間にか活気あるマーチが、物悲しい蛍の光に変わり、伸びた

紙テープが波間に落ちて溶ける頃、最後の船が港を出るために離岸する。

それでも、船は名残惜しそうに港の出口で旋回して戻り、又、今度は

本当にボーーーっと長く尾を引く汽笛を鳴らし港から出て行く。

テープが波間に落ちるのが寂しくて、テープを持ちたがらない人もいた。

半年の航海を終えて船が着岸するのも第3埠頭だ。

早くから迎えの為に岸壁に並び、水平線の彼方に目を凝らして

船のマストの先端が見えるか待っていた。

船の全体が見えると、大漁旗がどれだけ翻っているかを見ると

みんな、喜んだ。

運河にはそういう思い出があったので、開発に消極的だったのかと

思う。

今の運河を見たらどう思っていただろうか。

あのまま寂れて行くだけの運河であれば、今の状態になって

良かったのだと思う。

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