函館と長万部間のJRが廃止になって、バス路線に変換されるというのが
ほぼ確実になっている・
長万部駅で町民から意見を聞き取りしたが、対象が32名だったとの事で、
長万部駅の利用者が32名なので鉄道は不要と考えられた。
たまたま聞き取りしたのが32名だったからと言って、その人数しか利用
しないと断言して良いのだろうかね。
この聞き取りに関しては、『鐡坊主』さんの動画で拝見したものです。
利用人数が少ないのに、路線を存続させることが必要なのか、補填金額が
多いとのことで廃線に対する協議がされている。
この補填は町が負担しているようで、人口5000人位なのに何億円もの
負担を強いられている。
現在は、いくつかの町では廃線を受け入れる方向にある。
私は、感染症が拡大の前に、小樽から電車に乗る機会が多くあったが、夜の
7時台8時台には多くの旅客が利用していた。
私もそのうちの1人だったが、乗ると、決まってお顔を合わせる高齢の方が
いた。
夏でも冬でも、ハットをかぶって、片手にカバンを持って乗っていた。
言葉では挨拶を交わした事はないが、こちらの顔を短時間だが凝視するので
知った顔と思っていたのだろう。
存続させるための金銭的な物がないのなら致し方はないと思う。
けど、この函館本線には幼い頃の思い出が詰まっている。
と言っても、その頃は、小樽発の夜行列車で函館まで黒い煙を吐きながら、
走っていた。
窓の外も明かりのほとんどない暗闇で、自分の顔が窓ガラスに映るのが、
とっても怖かった。
まだ若かった母からは、トンネルに入ったら窓の外を見てはいけないと、
きつく言われた。
理由は聞いているが、ここでは書かないでおこう。
短いトンネルがたくさんあったように思い、「ポ~~~!」と警笛が鳴る
のも物悲しい思いで聞いた。
暑い夏の昼間は、ポ~~~が鳴ると急いで窓を閉めたものだ。
函館からは、乗り換えて江差まで行ったが、その先はバスに乗り換える
ために長い時間を江差で過ごした。
駅前の旅館では、乗り換えの時間までを休ませてくれるところがあって、
母と私と弟とで食事を摂ったり昼寝をしたりしていた。
前の晩の夜中に小樽を出ても、目的地への到着は翌日の夜になった。
母の実家へ着いた時は真っ暗。
明かりも何もない真っ暗な中、引き戸をドンドンと叩いて戸を開けて
もらったが、出てきた人は隣の人だった。
「あれ~、姉さんのうち、隣だわ」怒らずに、穏やかな声で言われて
母の実家を起こしてくれた。
この隣家の人は、この後からも私たちが行くと赤飯をふかしたとか、トウ
キビを茹でたとかって持ってきてくれた。
こういう思い出が詰まった函館本線なので、今までひっそりと走っていた
汽車が、こんな形でスポットライトが当てられて寂しい気持ちだ。
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