北方4島の見かた日本とロシア

ウクライナではロシア兵の略奪が日常的に行われている。

北方4島にソ連が侵攻してきたのは、

第2次世界大戦終結の直前。

8月15日の終戦を控えた8月9日に中立条約を破って

ソ連が侵攻してきた。

その頃の北方4島には、約1万7千人の日本人が住んでいた。

厳しい環境のなかで暮らしていた。

侵攻の時に、子供だった人達から話を聞くことが出来た映像。

ソ連兵は銃を持って土足で家に入って来た。

家の中をあちこち荒らして、指輪や万年筆を持ち出したという。

中でも腕時計を欲しがった。

左腕を出し、右手で丸を作り手首を示して

「トッキ、トッキ」と言いながら、壁の時計を示したという。

時計の事と気づき、腕時計を2つ差し出したところ

「ハラショー、ハラショー(素晴らしい)」

と言って帰って行ったという。

人の物を盗むとかっていう感覚を持っていなかったんだろうか。

侵略した所の物は自分たちの物なのだろう。

それでも、樺太や満州で起きた民間人への

虐殺がなかったのが一抹の救いだったのか。

その分と言うか、日本兵がたくさん戦死している。

ソ連兵は、侵略後に家族を呼び寄せて暮らし始め

3年余りを日本人と共に暮らしていた。

それからは、日本人もロシアの言葉を使わないと

暮らしていけない状況になったという。

4島から日本人が本土に強制移住させられたのは、

1948年の事。

今、歯舞漁港から1・7キロの海上が境界だ。

色丹島で育った女子大生からの話しだ。

「クリル諸島は、ずっとロシアの領土だったんです」

もう70年余りを暮らしたロシアの人達にとっては

島は自分たちの故郷になっている。

また、北方4島はそこに暮らしていた日本人の故郷でもある。

豊かな自然と豊富な資源がある島を、日本に返還するのは

反対だ。

と言うのが、島に暮らす人たちの多くの意見だ。

その中で「島には豊かな自然があるし、日本には素晴らしい

技術、医学があります。お互いに協力できることが

たくさんあります」

「日本人が自分たちを同じように見てくれるなら、

日本になっても良い」

占領された人たちが、酷い扱いをされた事を

知っていたのだろう。

領土はロシアの物だけど、日本と協力していけたら

発展に役立つのではという意見もある。

北方4島は、かつて日本の領土だった。

そこで育ち、住んでいた人たちにとっては懐かしい故郷だ。

心が痛むくらいに戻りたい場所だろう。

けれど又、今住んでいるロシアの人たちにとっても故郷だ。

日本への返還の他にも進む道があるのではないだろうか。

ロシアと日本が共存するという考えはないのだろうか。

ロシアと言う国が変わったら、そういう道を

模索する事も可能なのではないだろうか。

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