中村哲さん亡くなり3年経過

初めて中村先生の事を知ったのはいつのことだったろうか。

医療支援にアフガニスタンに行った医師なのに、作業服を

着て土を掘っていたので、何をしているんだろうと

思った、それが最初だった。

マラリアなどの感染症が、風邪を引いたみたいな

位置づけなくらいに医療が不足している地域だ。

また、国内が混とんとして経済が上手くいって

いない為に、栄養失調の子供がたくさん出ている。

私が一度は行ってみたいと思っていたバーミヤンの

仏像があった場所も、ある勢力の偶像崇拝禁止の為に

すべて壊されてしまった。

崖を掘って作った見上げるほどの仏像の顔が、壊されて

いたのを見て、同じ人間がした事に悲しくなった。

医療の支援だけではだめで、水を引き込んで作物を

作る自給自足が出来なければと、貧困から抜け出せない

と用水路を作っていたのが中村先生だ。

その中村先生が、移動中に銃撃されて亡くなり3年が

すぎたけど用水路には水が流れ砂漠に緑が現れて

干ばつにもならず、レモンを収穫している所もある。

先生がアフガンに行って初めて開いたナンガルハル州に

ある診療所も、意思を継いだ人達によって今も

閉じることなく多くの患者が訪れている。

そして、毎日何百人もの人が無料で診療を受けている。

昨年8月からは国内が混とんとして、人々が酷い

貧困に陥っている。

米やじゃがいもを食べられるのはかなりいい方で、

練った小麦粉を薄く伸ばした物を焼いて主食として

いて、後はヤギのミルクだ。

栄養失調の子供が増えていて、病院に行った時には

ほぼ手遅れの状態だと医師が言っており、母親に

抱かれながら、文字通り骨と皮だけになった子供が

かすれた声で母親を呼んでいたのが強く印象に

残っている。

街中に住むには部屋代がないと、崖を掘って中に

住んでいる人達が多くなっている。

その地域もこれからはかなりの寒さに襲われるが

食べ物を買うために、布団や暖房器具を道端で売って

いる人達がいる。

寒くなるけれど、今日食べる物がないので売っている

が、買う人もいない。

こんな地域が世界のあちこちにある。

自分たちの国から追い出されて、どこにも行かれず

テントで生活をしている所もある。

私たちにとっては、国と言うのは当たり前の物で

さほど気にすることがない。

世界中で、国があってもどこにも行かれず、国から

追い出されて戻る国もない人達がいる事を

忘れてはいけないと思う。

こんなに進歩した世の中で、なんで争わなくては

ならないのか、なんで〇しあわなければならないのか

考えると悲しくなる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました