かたつむりの父

仕事をやめて、家に引きこもるようになった私の

生存確認の為に始めた『ひとりごと』

夏は蝸牛のように家にこもり、寒くなったらこたつに

もぐる『こたつむり』になるのは必至。

本来の蝸牛は家を担いで移動できるが、この蝸牛は地に

ついたまま。

何かを書こうとしても、引きこもり状態では、別段、

日常に変わりがあるわけではない。

年を取ると昔の事を思い出すと言うが、全くその通り。

そんな昔の事を思い出しては日々綴っている。

本当なら、読んでもらって何かの助言にでもなる事が

あると良いが、特にない。

亡くなった両親の事を忘れないように書いている。

生前、母が父の事をこう言っていた。

「とうさんは、浮世離れしているから」と

はじめは何を言っているのかは分からなかったが、

今は何となくわかる。

父は長年の間、漁師として家を空けることが多かった。

毎年、10か月は留守にしていた。

冬になる頃から春までは家にいたはずだが、その間も

仕事を見つけては留守にしていた。

家にいるかと思っても、風が吹くと船の様子を見に

港へ駆けつけていた。

漁師を辞めてからも、四国のサンゴ採取船に乗っていた。

後年は、採石場の機械の管理をして働いていた。

根が器用な人だったのか、大工仕事まで手を出していた。

そんな父は、大きな声を出したことがない。

いつもニコニコしている、穏やかな人だと思っていた。

思っていた、が、そうではなかったという事が分かった

のは、私が看護師として船舶関係の病院に働いていた

時だった。

私は母から常々のように「〇〇ちゃんはきつい」と

言われていたので、誰に似たものかと思っていた。

船舶関係の病院だったため、一般の人の他に、遠洋漁業

の船の船長だった人の入院も多かった。

皆、痛いとか苦しいとかの愚痴を言わず、穏やかに

入院生活を送っていた。

ある日、一人の患者さんからこう言われた。

「あんたは父さんとそっくりな性分だなぁ」

悪い意味ではなく、私の仕事ぶりを評価して言って

くれたようだ。

私は「そんなことはないよ、私はきついけど、父さんは

穏やかな人だったもの」

「穏やかなだけじゃ、船乗りをまとめて行かれないんだよ。

事故も起こさず、漁獲量も群を抜いていた。」と。

操船中の父の事を初めて聞いた。

普段の父からは、想像も出来ない事だった。

それで、私が同じ性格だと言ったのだ。

秋になると父は帰ってきた。

両手にいっぱいのお土産を抱えて、満面の笑みを浮かべて。

それは、その頃にしてとても高価な物ばかりだった。

船をドッグに入れた後、函館のデパートで買ってきたものだ。

帰ってくると、しばらくして言う事がある。

『陸酔い』してる。

十か月も船の上で揺られていると、陸に上がってから

酔うそうだが、当たり前と言えば当たり前の事。

私たちが船に乗ると酔うのと反対の現象が起きるそうだ。

そんな父は、散歩に行くと言って出かけたはずが、

今からフェリーに乗って明後日あたりに帰って来ると

電話をよこした。

連れは、自分の息子、つまり私の弟だったり、私の幼馴染

だったりする。

船で揺られていると陸酔いが治るとの事だった。

ある時、母が「しょうが」を買ってきて欲しいと頼んだ。

袋にいっぱいの「しょうが」を買って戻ってきた。

値段が分からないから、この分だけ欲しいと言って

1000円札を出したら、こんなに買えたと。

何十年も前の事だから、しょうがも安かっただろう。

50歳を過ぎた頃だろうか、「ぶどうがこんなに美味しい

と思わなかった、初めて食べた」と。

ブドウの時期には家に居なかったからからだろう。

店に入ると「いらっしゃいませ」と腰を折って挨拶を

されると、自分も腰を折って挨拶を返していた。

そういう父を母は恥ずかしいと言っていたが、

別に恥ずかしい事はないと思う。

後年、入院した際に胃カメラをしたが、胃の中は

古い潰瘍の痕ででいっぱいだったそうだ。

操船中はかなりのストレスがあったとと思うが、

痛いとかと言う事は気づかなかったそうだ。

浮世離れだけではなく、かなり我慢強い人だったのだろう。

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