五厘沢と温泉

五厘沢という集落に温泉があった

温泉は今はもうない。

江差町から日本海沿いに北上したところに

五厘沢という集落がある。

そこにあったのが五厘沢温泉。

私の母は、徳川慶喜が滞在していたと言い、

慶喜温泉と呼んでいた。

温泉の前を通る道路は、江差町に戻るように

目前の山をトンネルで貫通させて、

まっすぐに一本の道路になっている。

いま見えているトンネルがなかった時は

山越えか、もしくは迂回して海岸線を

学校まで歩いていた。

バスが通っていたが、

どこを走ったのか記憶にない。

そこは、私の母の実家があったところ。

60年ほど前、8歳か9歳の時、

春から秋にかけてをそこで過ごした。

隣町の水堀小学校にバスで通ったが、

他の生徒が徒歩なのに、自分だけがバス

というのがなんとなく気恥ずかしくて、

時々は歩いていた。

歩くと一時間以上かかった。

途中、自転車の上級生が、カバンを運んでくれた。

温泉の前に、大きな池が2つあった。

田んぼに引き水をするための池と聞いた。

温泉で提供していた鯉料理の為に、

その池では鯉を飼っていた。

池には、1メートル以上にもなる真鯉が

住んでいると聞かされていた。

池は通学途中にあり、バス停と、温泉の

売店があった。

売店では日用品も売っていたので、

近くに行く機会がが多かった。

池の水がボチャン!と音を立てるたびに

恐ろしい思いをしたものだ。

後で考えると、柵もない大きな池なので

子供が近寄らないように、そう言っていたのだろう。

温泉施設の中の池にも、大きな鯉がいたので

1メートル以上の真鯉の話は、子供心に信じていた。

日帰り入浴などという言葉のない頃、

農作業帰りの大人たちは、温泉に寄って

汗を流して帰ってきた。

一度、弟が3~4歳の時、どうしても母親の

いる田んぼに行きたいと言い連れて行った。

田んぼのふちに、針金で作ったバラ線があり

弟がおたまじゃくしを獲ろうとくぐった拍子に、

目の際を5センチくらい切ってしまって

血を流している弟を背負いながら、

二人で泣きながら帰った。

良くおぶって帰って来たねっていわれた。

私は瘦せてたし、弟はポチャだったから。

なにかあったらと、心臓はバクバクだったと思う。

父の姉が、そこで住み込みの仲居をしていた。

色白のきれいな人だったので、

美白に良い泉質だったのだろう。

その温泉はもうない。

五厘沢温泉から経営が変わって

どこかの系列の『緑館』となり、

気づいた時にはツインリーフという

施設に変わっていた。

五厘沢・ツインリーフという言葉を

最近ネットで見かけ、思い出している。

緑が多く、また、海もあり

子供が育つには良い環境だったと思う。

大人たちが農作業に行っている間、

中学生や年長の子供が、「浜に行くよ~」って

下の子供たちを引き連れて、海岸へ連れていてくれた。

海岸は、少し荒い砂と、丸い石で出来ていた。

おやつは、ハマナスの実を割って

塩水で洗ったものを食べたり、

ツブ貝を浜辺でゆでて食べたり、

畑から、ウリをとって食べたりしていた。

集落から海へ行く、なだらかな坂を

下りきった所に小さな川が流れていた。

海へ入った後は、河口から川をさかのぼり

塩水を洗い流し、服を洗った。

その川で、コメを研いだり野菜を洗ったりも

していた。

体を洗う場所、コメを研ぐ場所、茶碗を洗う

場所は決まっていて、時々おこられた。

牛乳も水に浸けて冷やしていた。

川は、護岸工事がされた後、綺麗な水が

流れなくなり、まったくの面影はない。

お祭りには、若者たちが神輿を

担いで、ザバザバと海の中へ繰り出していた。

今、若者はもういない。

それでも、たまに行きたくなる。

暮らしたのは、わずか数か月だが

美しい自然が思い出される。

間違いなく、私の故郷だ。

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