ラーメンっていくら?

外食はするけど、一人で回るお寿司くらいでラーメンはあまり食べない。

回るお寿司は、入って出るまで30分かからない。

ざっと注文して、ぱっと食べて、茶碗蒸しで締めてぱっと出てくる。

ラーメンて700円か800円くらいかな~。

子供の頃、父が家に帰ってくるとあちこちに連れて行ってくれた。

その中でも、近くにあった屋台のラーメンがかなり好きだった。

銭湯の前で開いていたけど、屋台ってところが大人みたいで好きだった。

昭和33年か34年くらいだったかな、普通のラーメンが50円で、

子供用が30円だったと思う。

そのラーメン屋さんは、今でも小樽の常盤通りという所で開いていて

入る事はないが、近くを通りかかると目が行ってしまう。

ちなみに、ラーメン店の名前は「大盛ラーメン」

今は2代目さんがやっているのかな。

2代目さんが高校生くらいだったと思うけど、みんなが『専務』って

呼んでいた。

本当に専務だったみたい。

価格を調べてみたら、昭和30年でラーメンが40円だから、50円で

間違いないと思う。

連続テレビドラマで、「まんぷくラーメン」のモデルになった日清食品の

チキンラーメンは、昭和33年に1袋35円で売り出したというから

普通のラーメンからすると、ずいぶんと高い値段設定だったんだろうなと思った。

父が子供の私を連れて、あちこちに行っていたと聞き、娘が「ねえ、〇〇は

子供の頃、可愛かったの?」と聞いた事がある。

父はすぐには返事をせず「…ん~、お世辞にも可愛いとは言えなかったな」

となぜか穏やかに言ったものだから、今でも娘には茶化される。

その時に近くに居た母「いや~、そんな…かわいい服ばっかり着せていたよ」

こんな言葉は全く持ってフォローにはなっていないと思う。

確かに、子供の頃の写真を見ると、いつも可愛い服を着ていた。

レースのドレスで砂遊びをしていたり、着物を着ていたり。

着物を着て、かんざしを挿している写真があるが、なぜか「豆絞り」の鉢巻きを

している。

気になっていたが、その時に謎が解けた。

2~3歳くらいまで髪の毛がなくてポヤポヤだったらしい。

私が欲しがったかんざしを買ったは良いけれど、頭には留まらずに、

仕方なく鉢巻きを巻いて、そこにかんざしを挿していたという。

ちなみに、小学校に入学する頃には、真っ黒い硬い髪になっていた。

その頃の自分の写真を見ても、本当にかわいいとは言えない。

それでも、両親は少しでも可愛く見えるようにと、あれこれと考えて

くれたようだ。

母が入院して、意識を失う直前に言った言葉が忘れられない。

「私が死んだら、子供たちはどうやって生きて行くんだろう」その時の

母の脳裏には、幼い子供の姿しかなかったのだろうと思うと、親の

子供を思う強さには頭が下がる。

そんな両親にきちんと孝行が出来ていたのだろうか。

「孝行をしようと思うと親はなし」と言うことわざがある。

いくらやっても、足りると言う事はないのだろうと思う。

ラーメンからいろんな事を思い出した今日だった。

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